勉強を辞めるために大学に行く人

そういうひと、いるよね

 世の中には実に様々な人がいますね。小さな頃から虫が好きで成長につれてその情熱が増しそのまま昆虫学者になる人がいて、ちょっとお値段の張るマンションに住みながらも夫の暴力に怯える女性がいて、暴力とドラッグ蔓延るスラム街に生まれながらも世界的ラッパーになる人がいて、大学生時代に出会った恋人とそのまま卒業後に結婚するカップルがいて、大学在学中に起業し人々の人生観を根底から覆すきっかけとなるデバイスを発明する人がいて、メンバーが連れ込んだ女は必ず他のメンバーにも一度味わせるという掟の中で生きるバンドマンがいて、自らの神への忠誠を示すため爆弾を体に巻きつけて死ぬ人間がいて、恋人とのセックスをインターネットに投稿し収入を得る人がいて、大丸百貨店の受付で働く人がいて、旅行に来た日本人相手の詐欺で生計を立てる日本人がいて、そして、勉強をやめるという目的のために難関大学を受験しそのまま合格してしまいその後とても困る人がいる。

 本当にいろんなことをするんです、人類って。

 今回はそんな愉快な人類総勢約70億人の中から選んだ任意の一人−つまり私のことですが−をサンプルとして抽出し、”勉強をやめるという目的のために難関大学を受験しそのまま合格してしまいその後とても困る人”の実情に迫って見たいと思います。レディゴー。

大学生は勉強しなくていいんじゃないの?

 高校時代、大学生という生き物は勉強をしないものだと信じていました。別に誰かにそう言われたわけではありません。大学生をモデルにした漫画やドラマから勝手に想像してたのかもしれませんし、周りにちらちらいる大学生をみて”こいつらとても勉強してるようには見えねえな”と思ったのかもしれません。もちろん”レポート”なるものの存在などは知っていましたが、そんなもんどうせ提出日に適当な文章書けばいいんだろうくらいにかんがえていました。(”単位”なるものの存在は知りませんでしたが...)

 いずれにしても高校生の頃の僕の脳内には”大学生は講義になんて出席せず、ビールを飲んで街を徘徊する生き物である”というステレオタイプができあがっており、僕はそのような退廃的生活を夢見て北海道大学を受験し、すんなり受かってしまいました。

みんな真面目だった

 でもいざ実際に大学に入学してみると、実際の大学生活、というより大学生の大学に対する姿勢は想像以上に真面目なものでした。みんな授業ちゃんと出るんですよ。”単位が〜”とか言って。でも僕は上記のようなステレオタイプに惚れ込んでいたし、初めて暮らす街をちょっとでも多く冒険してみたいと思って授業にろくすっぽ出ずチャリで石狩とかまで行ってました。広々としていて自転車で走ると本当に気持ちいいんですよねあの辺。

 いつだったか友人と二人でその辺をサイクリングしていたらおばちゃんに声をかけられて、知らない家のジンギスカンパーティーにお邪魔させてもらったこともありました。広大な大地によっこらしょっと座ってラム肉をじゅーじゅー焼きながら食べるわけです。うまい!!コンビニの肉とあなどってはいけない。セイコーマートの肉はけっこういけるのです。

   そんなことを繰り返していたら当然のごとく留年してしまい、その後も留年を重ねて退学に至ったわけだけれど、やっぱあの経験はとてもたのしかったなーとおもうのです。世間的には褒められたことじゃないんだろうけどさ。あ、この話全然オチがないわ。おわりおわり。